2014年08月09日

スポルティーバ(アリーナ)の歴史:1 2007〜2008年オープンに至るまで・黎明期

スポルティーバエンターテイメントの、リング常設会場である
スポルティーバアリーナが2014年8月3日に、契約満了に伴い
閉鎖となりました。

同会場のオープンから、閉鎖にかけての歴史を簡単に
振り返ってみます。


▼オープンに至るまで
前身となる、スポーツバー「スポルティーバ」は
名古屋市中区矢場町に居を構えていました。

スポルティーバが初めて興行を行ったのが、
2006年11月11日の「愛プロレス博」(Zepp Nagoya)です。

その後、名古屋市中区大須で「恋プロ」(公武堂タイガーホール)や
第2回の愛プロレス博など興行を重ねていきました。

転機となったのは、2008年6月の「でら名古屋プロレス」設立です。
同団体は、DDTの高木三四郎が監督、元DDTでガロガ騎士'sを退団した
高井憲吾をコーチとして設立された、地域密着型ローカル団体です。

同団体は、旗揚げまで東海プロレス道場などで練習をしていました。
でら名古屋プロレスの道場と事務所を兼ねる形で、開設されたのが
スポルティーバアリーナです。

かつて、共同企画(新日本プロレスの東海地区での興行を主催する
プロモーション会社)が運営していた、闘魂SHOP名古屋店が閉店して
おり、その跡地に入る形になりました。

それに伴い、スポルティーバエンターテイメントも団体として発足し、
ヒデ久保田とヤス久保田の「久保田ブラザーズ」やマンモス半田らが
所属選手となっています。

▼オープン後(2008年〜)
スポルティーバアリーナが本格的にプロレス会場として運営される
のは、でら名古屋プロレスのハウスショー(後にハウスバトルに改称)の
会場として使用されるようになってからです。

DSCF0006.jpg
2008年9月14日撮影

9/14 でら名古屋プロレス ハウスショー

でら名古屋プロレスは、単なるローカル団体としてでなく、より
地域に根ざした形をとるため「全試合対抗戦」というコンセプトを
打ち出していました。

大きな会場での本戦は他団体との対抗戦、それに至るまでは月に
1〜2度のハウスショーで同門対決し、経験を積んでいきました。
高木三四郎、高井憲吾、SHIGERU(引退)以外は、新人選手で
構成されていたため、試合経験を積むことが重要視されていました。

しかし、でら名古屋プロレス所属の選手のみでは、興行が行える
ほどの選手が足りず、スポルティーバエンターテイメントの選手も
ハウスショーに参戦するようになります。

スポルティーバアリーナは、でら名古屋プロレス以外の興行も
行われるようになっていきます。

例:
9/27 恋プロ08夏〜少年時代〜
12/12 ミスター6号バースデーパーティー
12/22 高井憲吾自主興行 HOFプロレス

次回のエントリでは、2009年のでら名古屋プロレス活動停止から
金プロ開始について記述する予定です。

※エントリタイトルを修正しました。

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posted by たこ焼きマシン at 17:38| Comment(0) | スポルティーバの歴史