2014年08月10日

スポルティーバ(アリーナ)の歴史:4 2011年 興行数の増加・成長

2011年に入り、スポルティーバ(アリーナ)は常設会場の利点を活かし、
フットワークの軽さを発揮していきます。

まず、特筆するべきは突発的な興行の増加です。
豪雪の中、開催されたケニー・オメガ vs 彰人のワンマッチ興行を
皮切りに、彰人DDT48総選挙選挙活動ワンマッチシリーズが開催され、
佐藤泰 vs 澤宗紀ワンマッチ興行、マンモスジャパンツアーに
いたっては、スポルティーバアリーナを飛び出して岐阜で行っています。

そして、Ustreamでの試合配信を積極的に行い、突発的な興行や
水曜カレープロレス(仮)での試合を配信していきます。

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1/16 スポルティーバ 「ケニー・オメガ vs 彰人 ワンマッチ興行」Sportiva Arena より

Ustream配信ログ
DDT48総選挙 選挙活動ワンマッチ 彰人VS入江茂弘
DDT48総選挙 選挙活動ワンマッチ 彰人VSマサ高梨
DDT48総選挙 選挙活動ワンマッチ 彰人VS福田洋
9.3 ワンマッチ興行 佐藤 VS 澤 


前回のエントリでは、彰人の対大物シングルマッチについて述べましたが、
この年は彰人がさらに大きな成長を遂げる一年でもあります。2011年の彰人の
対戦相手はそうそうたる顔ぶれで、全てではありませんが大まかな記録は
以下に一覧として残しています。

彰人の対戦相手一覧

彰人は、水曜カレープロレス(仮)では佐藤やノリ・ダ・ファンキーシビレサスと、
金プロでは高井憲吾や久保田ブラザーズと対戦する日々が続きます。
水曜日は、彰人・佐藤・ノリの三者のシングルが幾度となく行われ、
杉浦透やTAKASHI(現 グラディウス)らもセミレギュラー参戦し、
選手たちが著しく成長を遂げていきました。

また、1〜6月の土プロDXはすべて彰人のシングル戦がメインイベントで
行われ、5月の「愛プロレス博2011〜夢〜」でも彰人が男色ディーノとの
シングルマッチでメインを務めました。シングルマッチが愛プロのメインと
なったのは、この時が初めてでした。

また、この大会ではスポルティーバ黎明期を支えた選手のひとり、
SHIGERUが引退セレモニーを行っています。名古屋の選手は、引退時は
セレモニーを行わず、いつの間にか試合をせずフェードアウトする事が
大半で、大きな会場で引退式をするのは極めて珍しいことでした。

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5/8 スポルティーバエンターテイメント「愛プロレス博2011〜夢〜」 Zepp Nagoya より

愛プロレス博は、スポルティーバの開業5周年を祝う意味と、
名古屋のローカル選手であったSHIGERUの認知度を上げるために
開催された経緯があり、愛プロで引退セレモニーを行うこと自体に
重要な意味がありました。

6月には、第2回の若鯱リーグ戦が開催され、7選手が参加し、決勝に
彰人と杉浦透が勝ち上がり、6月の土プロDXの決勝戦では彰人が
優勝を勝ち取りました。

Ustream配信ログ
若鯱リーグ決勝戦 編集バージョン


しかし、全てが順調というわけでもありません。4月に行われた
チャリティ興行でマンモス半田が腕を骨折し、8月には澤宗紀が
格闘探偵団バトラーツ解散に伴って引退を表明し、マンモス
ジャパンツアー(MJT)の完遂がほぼ不可能となりました。

それでもタダでは転ばないのが、スポルティーバの図太い所です。

まずは、9月23日大日本プロレス四日市大会のメインイベントに、
澤宗紀が出場したのをいいことに、マンモス半田が凶器として乱入。
ドサクサ紛れにMJTin三重を行います。

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9/23 大日本プロレス 「三重・BJW大作戦」 四日市オーストラリア記念館 より

10月6日名古屋市主催の「なごやめし博覧会オープニングイベント」の
プロデュースを行い(ノリや彰人、ミスター6号らが参戦)、会場が
Zepp Nagoyaだったため、そのままMJTの「幻の最終マッチ」を
開催したのです。平日22時頃からZepp Nagoyaでワンマッチと、
究極のZepp Nagoyaの無駄遣いともいえる興行でした。

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10/6 名古屋市 「なごやめし博覧会オープニングイベント」 Zepp Nagoya より

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10/6 スポルティーバ 「MJT IN Zepp Nagoya」 Zepp Nagoya より

Ustream配信ログ
マンモスジャパンツアー 幻のZeppワンマッチ興行 マンモス半田VS澤宗紀
マンモスジャパンツアー静岡 澤宗紀マンモス半田編ファイナル


12月23日の「金プロDX」では、負けたらスポルティーバ入団という
条件のもと、エル・サムライが久保田ブラザーズと対戦し、敗北した
ため、その場で契約書へサインしスポルティーバへ入団しています。
新日本プロレス出身の選手が関東以外の、ローカルインディペンデント
団体へ所属選手として入団したのは初のケースです。

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12/23 スポルティーバ 「金プロDXだよ、全員集合!!」 Sportiva Arena より

また、バトラーツ所属だった竹嶋健史も、タケシマケンヂと
リングネームを変えて、入団しています。

2011年は、スポルティーバ(アリーナ)と、そこで戦う選手たちが
大きく成長を遂げた年でした。

次回のエントリでは2012年について記述する予定です。

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posted by たこ焼きマシン at 18:19| Comment(0) | スポルティーバの歴史

スポルティーバ(アリーナ)の歴史:3 2010年 新要素・キーパーソンの登場

2010年になり、スポルティーバ(アリーナ)はさらに活発化していきます。

まず、2010年1月10日に「今池プロレス商店街2」が開催されます。
これは、今池プロレスが団体として活動することを宣言した大会です。
とはいえ、興行のプロデュースはスポルティーバが継続して行い、
現在に至ります。

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1/10 今池プロレス 今池プロレス商店街2 今池ガスホール から

この大会では、ノリ・ダ・ファンキーシビレサス(nobodyknows+)が
マグナム今池の後輩にあたることから、ゲスト解説として登場し、
メインイベントでマグナムを助けるため、ゼットンにドロップキックを
放ちました。これが後のスポルティーバマットに大きな影響を与える
きっかけとなりました。

2月に入り、「カレーを食べながら、プロレス観戦しよう」という
キャッチコピーで、スポルティーバアリーナでは毎週水曜日20時開始の
定期興行「水曜カレープロレス(仮)」がスタートされます。

チームでらに所属せず、スポルティーバ預かりになったSHIGERUや、
佐藤泰など金プロに出場しない選手や、デビューしたばかりの
彰人らが試合機会を求めて出来たブランドです。

佐藤泰と彰人はほぼフル出場、SHIGERUやゼヴィウスも準レギュラーと
して出場し、派手さは無くとも各選手の勝利への執念や、技術の向上
など、試合の度に成長し続ける姿を見せる場として確立していきます。
特に彰人は、他のスポルティーバ興行にもほぼフル出場を続けていた
ため、名古屋で最も短いキャリアでありながら、最も試合数の多い
選手になり、これが後に大きな意味を持つことになります。

これでスポルティーバアリーナでは、毎週水・金(月末のみ最終土曜)の
興行に加え、チームでらや鎌倉一番(現:かまくらマスク)興行なども
開催され、さらにユニオンプロレスの興行なども開催され、にぎわいを
見せるようになっていきます。

3月中旬より、入江茂弘が「DDT留学のため」、拠点を東京へ移します。
入江の名古屋でのレギュラー参戦は無くなるもの、不定期といえ頻繁に
戻って試合を続け、それは今でも変わっていません。

そして、2010年5月5日に「愛プロレス博2010キセキ」がZepp Nagoyaで
開催されます。第1試合では彰人が初勝利を挙げ、第6試合では
ノリ・ダ・ファンキーシビレサスが今池プロレス所属として
プロレスデビューを果たしています(時間差バトルロイヤルで
GENTAROに敗北)。

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5/5 愛プロレス博 2010 キセキ Zepp Nagoya から

また、メインイベントでは久保田ブラザーズと、同日愛知県体育館での
試合を終えて移動したばかりのCIMAとGammaが対戦しています。

6月に入り、若手選手のみによるリーグ戦「若鯱リーグ戦」が開催されます。
「若鯱」は、2008年11月24日に開催された「愛プロレス博外伝・若鯱」に
由来し、スポルティーバマットで戦う若手選手を総称する表現です。

彰人に加え、影山道雄(現チームでら、当時はDEP)、杉浦透(現FREEDOMS、
当時はDEP)、棚橋裕士(柴田道場)の4選手で行われ、6月の土プロDXの
メインイベントで決勝戦となりました。

若手同士、それもデビュー1年未満同士の選手のシングルマッチでメインと
いうのは、名古屋では異例でした。しかし、これをきっかけに若手選手を
積極的にメインに登用し、経験を積ませるスポルティーバの指針が生まれ、
後に続いていきます。

また、6月からSHIGERUが欠場し、代わる形となってノリが
レギュラー参戦を始めます。
芸能人のプロレス参戦は、珍しくありませんが、ひとりの
選手として、ほぼ毎週のペースで定期的に試合を行っている
のは、おそらくノリだけでしょう。

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6/16 水曜カレープロレス(仮) Sportiva Arena から

しばらく、佐藤・ゼヴィウス・彰人・ノリの四者を中心に、
参加選手数は少なくとも、密度の高い戦いが繰り広げられ、
水曜日の空気感を醸成する期間となっていきます。

2009年8月15日には、今池プロレス「今池プロレス商店街」が
開催され、ノリ・ダ・ファンキーシビレサスと彰人がタッグを
組んで、GENTAROと高尾蒼真を相手に戦っています。

スポルティーバアリーナで時折行われていた特殊エニウェア
マッチのSRS(Survivor of the Ring Side)ですが、その原型とも
言える試合が、2010年9月10日の金プロで行われます。

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9/10 金プロだよ!!全員集合 Sportiva Arena より

この時期の高井憲吾は、試合中にアイテムとしてトレーニング用
ゴムチューブを使っていましたが、それを会場内で正方形に伸ばし
「ホフアリーナ」と称した、場外リングを作り、そこで戦いました。
これはあくまでも場外戦のひとコマでしかありませんが、客席全域を
戦場にする、SRS誕生以前に行われていたことになります。

2009年9月20日には「マンモスジャパンツアー」が開始します。
澤宗紀(引退)の持ち込み企画で、澤とマンモス半田が全国
47都道府県を周りながら試合を行うものです。

澤は、2008年4月26日の「恋プロ'08」からスポルティーバ
興行によく参戦していましたが、2010〜2011年にかけて、
スポルティーバ興行における重要人物のひとりとなります。

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9/20 マンモスジャパンツアー2010 Vol.1 Sportiva Arena より

11月になり、デビュー1年を迎えた彰人に過酷でありながらも、
素晴らしい経験を積むこととなる期間が訪れます。前述の通り、
スポルティーバは、若い選手に次々とメイン登用や、大物との
対戦機会を与え、成長を促していく団体ですが、その指針を
真っ先に体現したのが彰人です。

ビリーケン・キッド(大阪プロレス 当時)や澤宗紀などとの
シングルマッチが続いていきます。彰人は愛プロで初勝利を
アンクルロック(足首固め)で得てから、急成長を遂げますが
このシングル連戦でさらに成長を続けます。

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11/10 水曜カレープロレス(仮) Sportiva Arena より

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11/27 土プロDXだよ全員集合!! Sportiva Arena より


2010年は、後のスポルティーバ興行の指針やコンセプトなどの
叩き台と、彰人・ノリ・澤らのキーパーソンが現れた一年でした。

次回のエントリは、2011年についての予定です。
スポルティーバ史上最多の興行が開催され、スポルティーバの
特徴である、瞬発的な判断と実行がいかんなく発揮される年です。

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posted by たこ焼きマシン at 11:46| Comment(0) | スポルティーバの歴史