2014年08月09日

スポルティーバ(アリーナ)の歴史:2 2009年 でら名古屋プロレス休止、そして挑戦

前回のエントリでは、スポルティーバアリーナオープン前後に
ついて記述しました。今回は2009年の出来事についてです。

また、エントリのタイトルですが、アリーナ以外での事象も
大きく含むことから、スポルティーバエンターテイメントと
アリーナ、名古屋のプロレスも含む形に改題しました。

▼興行の増加/模索期
2009年に入り、でら名古屋プロレス以外の興行が多く開催
されるようになっていきます。

後のチームでらの「プチでら」に繋がっていく「プチHOF」や、
斉藤代表がとつぜん開催を決定し、突発的に行う興行の第1弾
「節分プロレス」など、後々の前身となる興行が開催されました。

また、初の東海地区以外の団体の興行も開催され、
ガッツワールドが使用しています。

1/25 高井憲吾自主興行 プチHOF 1st Sporiva Arena
2/3 節分プロレス Spotiva Arena
2/27 ガッツワールド Sportiva Arena
3/14 愛プロランブル Sportiva Arena

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2009年2月3日 節分プロレス から
※ケニー・オメガ vs 入江茂弘 ワンマッチ興行

でら名古屋プロレスのハウスショーがハウスバトルに
改称され、ほぼ毎週ペースで興行が開催されるようになり、
月末には拡大版のスペシャルハウスバトルも開始し、
後の「金プロ」や「土プロDX」の前身になっています。

スポルティーバアリーナは会場としての稼働率が高くなり、
でら名古屋プロレスの認知度も上がっていきますが、
ここで大きな転機が訪れます。

▼でら名古屋プロレス活動休止
2009年4月、当時の社長が大麻取締法違反で逮捕されました。
大きく報道され、直近の興行が中止されます。

社長は後に不起訴処分となりますが、事態の重大さから、
でら名古屋プロレスは活動休止することと、同年7月26日の
一周年興行が無料の最終興行なることが発表されました。

▼金プロ開始
この事件で、名古屋のプロレスが負った傷は深く、
でら名古屋プロレスやスポルティーバは後援者や
自治体との協力を大きく失うことになります。

そんな中、スポルティーバやDEPの選手たちが中心となる
「金プロだよ、全員集合!!」(金プロ)が開始します。

ハウスバトルではほとんど無かったスキットや、
コミカルな要素も加わったパッケージ興行です。

▼プロレスは裏切らない
名古屋のプロレスが再始動する中、2009年5月3日に
「愛プロレス博2009 〜勇気〜」が開催されます。

高井憲吾 入江茂弘 vs 大谷晋二郎 田中将斗が
セミファイナルとして組まれ、高井と入江が
復帰戦というには大きすぎる相手と戦っています。

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2009年5月3日 愛プロレス博2009〜勇気〜 から

大谷が試合後、「プロレスは絶対に裏切らない」と
エールを高井たちに贈っていますが、これは名古屋の
プロレスファン全体に対してのメッセージとして
考えても勇気を与える言葉でした。

また入江は、後にKO-D無差別級王座を獲得した時から、
決め文句として大谷のこの言葉を用いています。

愛プロレス博2009 勇気 エンブレム登場
5/3 愛プロレス博2009 〜勇気〜 Zepp Nagoya


▼再始動〜挑戦
でら名古屋プロレスが最終興行を行いつつも、名古屋の
プロレスは活動を止めることなく、再始動します。

スポルティーバアリーナでは「金プロ」「土プロDX」の
定期開催が完全に定着し、でら名古屋プロレスの後継
団体となる、チームでらの"再"旗揚げ戦も行われます。

7/26 でら名古屋プロレス 最終興行 中村スポーツセンター
9/19 チームでら 『RE:START』 Sportiva Arena

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2009年7月26日 でら名古屋プロレス 最終興行 から

ほぼ毎週試合を行うことから、選手たちの技量が
大きく上がり、他団体が名古屋で興行を行う際にも
当たり前のように参戦していきます。

スポルティーバは後に様々なイベントのプロデュースも
行うことになりますが、その最初期として行われたのが
「今池プロレス商店街」でした。

5/24 今池プロレス商店街

そして、彰人が入門し、練習・エキシビションマッチを続け、
後輩選手たちもデビュー前に同様の経験を積む慣例を
つくることとなりました。

そして、2009年11月23日「愛プロレス博2009 挑戦」が
Zepp Nagoyaで開催されます。でら名古屋プロレスの
コンセプトであった全試合対抗戦となる、初の愛プロです
(勇気は、ウルトラマンロビンvsエイリアンガッツの
SGP対決があったため)。

この日の第5試合で、彰人のデビュー戦が行われました。
名古屋のプロレスの歴史において、デビュー戦が
ビッグマッチの第5試合、かつ相手が当日発表、と
いうのは前例が無く、すべてが初めて尽くしでした。

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2009年11月23日愛プロレス博2009〜挑戦〜 から

対戦相手は、大谷晋二郎(ZERO1)でした。
試合は彰人がひたすら大谷の厳しい攻めを受け続ける
だけのものでしたが、この日の試合中もっとも声援を
受けたのも彰人でした。

先に述べた様に、彰人のデビューはあらゆる面で名古屋の
プロレスの歴史には無かった要素(毎週のエキシビション、
伊東竜二など所属外の選手とも行う、対戦相手が当日発表)
などが付随しており、他地区のローカル団体でもほとんど
見られないケースでした。

この前例に囚われず、愛プロの副題通り挑戦的な試みを
続ける、スポルティーバの方針が生まれたのが2009年です。

そして、スポルティーバの更なる挑戦として全く新しい
ブランドが生まれ、それを支える新たな主力選手たちが
現れる2010年へと時は流れていきます。

次回のエントリでは2010年について書く予定です。

※エントリタイトル改題、写真とリンクの修正をしました。

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posted by たこ焼きマシン at 19:36| Comment(0) | スポルティーバの歴史

スポルティーバ(アリーナ)の歴史:1 2007〜2008年オープンに至るまで・黎明期

スポルティーバエンターテイメントの、リング常設会場である
スポルティーバアリーナが2014年8月3日に、契約満了に伴い
閉鎖となりました。

同会場のオープンから、閉鎖にかけての歴史を簡単に
振り返ってみます。


▼オープンに至るまで
前身となる、スポーツバー「スポルティーバ」は
名古屋市中区矢場町に居を構えていました。

スポルティーバが初めて興行を行ったのが、
2006年11月11日の「愛プロレス博」(Zepp Nagoya)です。

その後、名古屋市中区大須で「恋プロ」(公武堂タイガーホール)や
第2回の愛プロレス博など興行を重ねていきました。

転機となったのは、2008年6月の「でら名古屋プロレス」設立です。
同団体は、DDTの高木三四郎が監督、元DDTでガロガ騎士'sを退団した
高井憲吾をコーチとして設立された、地域密着型ローカル団体です。

同団体は、旗揚げまで東海プロレス道場などで練習をしていました。
でら名古屋プロレスの道場と事務所を兼ねる形で、開設されたのが
スポルティーバアリーナです。

かつて、共同企画(新日本プロレスの東海地区での興行を主催する
プロモーション会社)が運営していた、闘魂SHOP名古屋店が閉店して
おり、その跡地に入る形になりました。

それに伴い、スポルティーバエンターテイメントも団体として発足し、
ヒデ久保田とヤス久保田の「久保田ブラザーズ」やマンモス半田らが
所属選手となっています。

▼オープン後(2008年〜)
スポルティーバアリーナが本格的にプロレス会場として運営される
のは、でら名古屋プロレスのハウスショー(後にハウスバトルに改称)の
会場として使用されるようになってからです。

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2008年9月14日撮影

9/14 でら名古屋プロレス ハウスショー

でら名古屋プロレスは、単なるローカル団体としてでなく、より
地域に根ざした形をとるため「全試合対抗戦」というコンセプトを
打ち出していました。

大きな会場での本戦は他団体との対抗戦、それに至るまでは月に
1〜2度のハウスショーで同門対決し、経験を積んでいきました。
高木三四郎、高井憲吾、SHIGERU(引退)以外は、新人選手で
構成されていたため、試合経験を積むことが重要視されていました。

しかし、でら名古屋プロレス所属の選手のみでは、興行が行える
ほどの選手が足りず、スポルティーバエンターテイメントの選手も
ハウスショーに参戦するようになります。

スポルティーバアリーナは、でら名古屋プロレス以外の興行も
行われるようになっていきます。

例:
9/27 恋プロ08夏〜少年時代〜
12/12 ミスター6号バースデーパーティー
12/22 高井憲吾自主興行 HOFプロレス

次回のエントリでは、2009年のでら名古屋プロレス活動停止から
金プロ開始について記述する予定です。

※エントリタイトルを修正しました。

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posted by たこ焼きマシン at 17:38| Comment(0) | スポルティーバの歴史

8/4 新日本プロレス

2014年8月4日に、愛知県体育館で開催された
新日本プロレス 「G1 CLIMAX 24」を観戦しました。

公式リーグ戦10試合が行われ、月曜日開催で
ありながら、ほぼ満員の盛り上がりを見せました。

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第8試合では、AJスタイルズ vs カール・アンダーソンの
バレットクラブ対決となりました。
試合巧者の両者の持ち味が発揮された、お互いの必殺技を
切り返したり、潰したりする展開となりました。

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セミファイナルは棚橋弘至 vs シェルトン・X・ベンジャミン
が行われ、ベンジャミンが棚橋の腹部に攻撃を集中させて
攻め込む展開となりました。

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メインイベントの後藤洋央紀 vs オカダ・カズチカは、
愛知県出身のオカダが後藤に攻め込まれながらも、
最後まで主導権を渡しきらない、強さを見せました。

観戦記はすでにアップロードずみです。

8/4 新日本プロレス 「G1CLIMAX 24」 愛知県体育館

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posted by たこ焼きマシン at 00:23| Comment(0) | 観戦記録

8/3 スポルティーバ 「最終日だよ、全員集合!!」(名古屋・鶴舞)

2014年8月3日に、名古屋・鶴舞スポルティーバアリーナで開催された
スポルティーバエンターテイメントの「最終日だよ、全員集合!!」を
観戦しました。

スポルティーバの常設会場、スポルティーバアリーナが契約満了に
伴い、閉鎖することが7月31日に発表され、急きょ決定した興行です。

最終興行らしく、スポルティーバが今まで興行で培った要素が
ほぼ全て詰め込まれた、最終興行にふさわしいカードとなりました。

▼公開スパーリング(5分)
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スポルティーバの新人はデビュー前に、ある程度の期間
エキシビションマッチで客前で戦う経験を積むことが通例です。

この日はまだ試合形式は早い、という判断からかスパーリングと
いう形で行われました。女子練習生がゼヴィウスを相手に、
5分間を最後まで戦い抜きました。

▼第1試合 ミスター6号 vs ドラ・スポルティオ
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スポルティーバの定番カードのひとつであり、テレビやイベント
出演時にもよく組まれた試合です。

ミスター6号は就学前(幼稚園年長)時代からスポルティーバ興行に
出場していますが、今年の4月には中学校に入学しています。

6号はマスクを前後逆にされると、視界を失う弱点がありますが、
スポルティーバアリーナ最終興行にてとうとう、自身の手で
マスクの向きを戻すことができるようになり、また体格も
大きくなったため、ボディスラムやバックドロップといった
体力が必要な技もできるように成長した姿を見せました。

▼第2試合 かまくらマスク vs 長谷川智也B
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いわゆるコミカル枠の試合ですが、東京や大阪で行われている
ものとは方向性の違う、不条理・理不尽さが毎週の様に追求
されていましたが、この日もさらにカオス度を増した試合と
なりました。

▼第3試合 蓮香誠 vs 市野雄士
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パワーファイター同士の分かりやすい、シンプルで
あっても気迫をぶつけ合う試合となりました。

蓮香はスポルティーバアリーナでデビューした唯一の選手で
現在20歳、市野は現在名古屋の選手で最もキャリアが短く、
未来に繋がる試合となりました。

▼第4試合 彰人 vs 佐藤泰
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彰人はスポルティーバでデビューしDDTへ移籍する前は、
水曜日に佐藤と毎週の様に試合をし、その中で得意の
足殺しを始め、試行錯誤しつつ磨いたものを金・土の
定期興行や、他団体で試すというサイクルでみるみる
成長していきました。

また、水曜カレープロレス(仮)は佐藤泰の提唱により
開始したブランドであり、両選手のルーツともいえます。

水曜カレープロレス(仮)では、通常ルール以外にも、特殊ルールで
試合が行われることが多く、その中でも2カウントフォールあるいは
ギブアップでポイントとなる形式はよく行われていました。

この形式は、押さえ込みを得意とする佐藤泰、関節技を得意とする
彰人のそれぞれの強みを活かしていましたが、この試合でも
昔を彷彿とさせつつも、両者の成長を見せる攻防を見せました。

また、彰人は『Hero's Come Back!!』をDDT移籍移行、入場曲として
用いていますが、これは水曜カレープロレス(仮)のレギュラー選手であり、
ノリ・ダ・ファンキーシビレサスの所属するヒップホップユニット、
nobodyknows+のものです。

ノリもこの曲を現在使用しているため、この日ノリの参戦は
ならなかったものの、彰人がこの曲で入場したことで、
試合にさらに意味を加えることになりました。

▼第5試合 入江茂弘 vs ゼヴィウス
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スポルティーバアリーナはでら名古屋プロレスのハウスショー
会場としても使用されていました。
入江はでら名古屋プロレスでデビューし、チームでらを経て
DDTに移籍し、その後はKO-D無差別級王者にもなりましたが、
不定期でこの会場で試合をしていました。

入江はDDT移籍前から、ゼヴィウスと絡む時は活き活きと輝く
ことが少なくありませんでした。しかし、この日は試合中
ゼヴィウスに乱入されたため、リングから去らざるを
得ませんでした。

乱入したゼヴィウスは、ゼヴィウスとの決着戦を要求。
さらに乱入したゼヴィウスとともに、ゼヴィウスのマスクを
予備も含め、何度も剥ぐ暴挙を見せました。

追い込まれたゼヴィウスですが、初公開のシースルータイプ
マスクまで着用し、奮闘しました。

▼第6試合 青柳政司 ヤス久保田 vs マンモス半田 柴山貴哉
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名古屋維真軍として活動している青柳とヤスが、今年
デビュー10周年の、半田と柴山組と対戦しています。

長いキャリアを持ちながらも、なおも新しい戦いに
挑み続ける、青柳とヤスが盤石の戦いを見せました。

▼第7試合 Survivor of the Ring Side選手権試合
小仲=ペールワン(王者) vs 趙雲子龍(挑戦者)
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Survivor of the Ring Side(SRS)ルールは、リングと店外が
場外となる、スポルティーバアリーナのハウスルールです。

SRSルールのみのベルトとなる同王座はしばらく、放置状態と
なりましたが、復活後ペールワンが第3代王者となりました。
この試合形式を最も活用できるのは自分だ、という趙雲の
申し出を受け、組まれたタイトルマッチです。

この日は超満員だったため、イスや机などがほぼ搬出された
状態での試合となりましたが、店内の設備を利用したり、
高低差を活かした技なども見られました。

▼第8試合 石田慎也 vs 岩本煌史
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スポルティーバアリーナの最終試合は、スポルティーバの
現在そして未来を象徴するふたりのシングル戦でした。
愛プロレス博2013〜未来〜でもメインイベントとなった、
スポルティーバの誇るカードです。

同日にデビューし、時には戦い、時には組んだ両者が
デビュー2年とは思えないほどの戦いを見せました。

スポルティーバは、キャリアを問わず若手に経験を
積ませることを目的に、メインイベントに積極的に
登用し、育てていくことが特徴ですが、この日も
それは変わりませんでした。

単に良い試合内容ではなく、未来に繋がる希望を
見せることも、スポルティーバのメインには強く
求められる機会が多いのですが、それも全く
変わりませんでした。

公式には謳われていなかったものの、この日は
事実上の「愛プロレス博2014」であり、両選手は
2年連続でメインイベントを同一カードで務めた
ことになります。

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全試合終了後、ヤス久保田が会場は閉鎖されるものの、
選手・団体の活動は継続することを改めて表明しました。

また、2015年5月17日(日)に「愛プロレス博2015 光」が
名古屋国際会議場で開催されることが発表されました。

今までは、Zepp Nagoyaでの「愛プロレス博」が名古屋の
最大のビッグマッチでしたが、同会場がプロレスへの
貸し出しを終了したため、名古屋からビッグマッチの
概念が消滅していました。

そのため、若干の停滞感・閉塞感がありましたが、この
発表はそれを打ち払う以上のインパクトがありました。

スポルティーバアリーナは閉鎖となりましたが、今までの
集大成と、来年5月の愛プロへ向けての第一歩の興行として、
大きな意味を持つ大会となりました。

観戦記はすでにアップロードずみです。

8/3 スポルティーバ 「最終日だよ、全員集合!!」 名古屋・鶴舞スポルティーバアリーナ

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posted by たこ焼きマシン at 00:07| Comment(0) | 観戦記録