2014年08月13日

スポルティーバ(アリーナ)の歴史:6 2013年 未来

2013年になり、名古屋のプロレスはさらに大きく動きます。  
1月、DDTへ「留学」の形でレギュラー参戦していた入江茂弘が、
チームでらを退団し、DDTへ正式に移籍します。

その入江がさっそく大きな成果を挙げます。3月20日に開催された
DDT後楽園ホール大会で、ケニー・オメガに勝利し、初挑戦で
KO-D無差別級王者となります。

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3/20 DDT 「Judgement 2013」 後楽園ホール メインイベント より

これに刺激を受けたのか、水曜カレープロレス(仮)、金プロが
活性化します。石田慎也はデビューからほぼ週2試合をこなし、
岩本煌史は週1ペースだったのが週2になり、やや開きつつあった
差を急激に埋めていきます。

水曜日にヤス久保田や影山道雄、TAKASHI(現グラディウス)が
代わる代わる参戦し、石田と岩本は先輩たちとハイペースで
試合を重ねていき、成長に繋がっていきます。

2013年は、この水曜カレープロレス(仮)が、スポルティーバの
ブランドとして躍進、確立していきます。混同を避けるため
水・金それぞれについて流れをまとめます。

まずは佐藤泰が「水曜日のエース」を自称するようになったり、
自己主張をすることが無かったTAKASHIが海外選手の技を
用いることで存在感を出したりしていきます。

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4/17 スポルティーバ 「水曜カレープロレス(仮)」 Sportiva Arena 第1試合 より
Ustream配信ログ 4/17水曜カレープロレス第一試合

もちろん、ノリ・ダ・ファンキーシビレサスやゼヴィウスも
負けじと、巴戦形式のポイントマッチに挑むなど、水曜が
活性化していきます。

特にこの年の佐藤の活躍ぶりは際だっており、後述する
大阪カレー軍(仮)に加入し好き勝手暴れれば、9月25日には
なんと60分アイアンマンマッチまで行っています。

Ustream配信ログ 9/25 水曜カレープロレスメインディッシュ

また、元・三代目えべっさんの菅沼修を中心に、関西の
選手を主に構成される「大阪カレー軍(仮)」の参戦が名物の
ひとつになりました。これは2014年も継続し、ほぼ月例
参戦となりました。

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9/11 スポルティーバ 「水曜カレープロレス(仮)」 Sportiva Arena 第2試合 より
Ustream配信ログ 9/11水曜カレープロレスメインディッシュ

金プロは、チームでらや他の興行への繋ぎどまりで終わる
など、方向性が見出せない時期が続き、動員に苦戦します。

しかし、それを逆手にとって、スポルティーバの特徴である、
アナーキズム・デタラメさが反映された試合形式が誕生します。

2月1日の金プロで、影山道雄 vs マンモス半田が、リング外で
のみ決着し、リング上と会場外が場外扱いとなり、さらに
会場内備品の使用が認められる、特殊ルールで行われます。

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2/1 スポルティーバ 「金プロだよ、全員集合!!」 Sportiva Arena 第2試合より

他の会場では出来ない、リング常設スポーツバーだから可能な
この形式は、SRS(Survivor of the Ring Side)ルールと命名され
スポルティーバアリーナの名物ルールとなりました。
3月15日には、全試合SRSルールでの興行まで行われ、SRSルールの
チャンピオンベルトも制定されました。

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3/15 スポルティーバ 「金プロOne Night Stand!〜SRS Rules〜」 Sportiva Arena 第2試合 より

そんな中、「愛プロレス博2013〜未来〜」の開催が発表されます。
会場は、Zepp Nagoyaではなくスポルティーバアリーナでした。
Zepp Nagoyaがプロレスへの貸出を終了し、映像と照明を使った
愛プロの世界観を表現できる会場が無かったため、開催が未定と
なっていた愛プロですが、ホームで行われることになりました。

愛プロ名物の、開場前に入口近辺で行われるスキットが行われ、
なんとエル・サムライが挑むSRS戦、"brother"YASSHIが
ヤス久保田とタッグを組む試合などが行われ、セミファイナルは
彰人 vs 男色ディーノのシングルマッチでした。

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5/25 スポルティーバ 「愛プロレス博2013〜未来〜」 Sportiva Arena 第1試合 より

これは、2011年の愛プロのメインイベントと同じカードです。
彰人は「今伝えたいこと、伝えなきゃいけないことがある」と
このカードを希望したのです。

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同大会 セミファイナル より

そして彰人は試合後、スポルティーバエンターテイメントを退団、
DDTへ移籍することを、自身の口で述べます。

そして、彰人は愛プロレス博を中心に、名古屋のプロレスは
様々な選手たちにより紡がれてきたこと、その続きを紡ぐ
役割を、石田と岩本に託し、メインイベントで戦うふたりを
呼び込みます。

彰人は、2009年の愛プロでデビューし、愛プロを最後に旅立つ
ことを決意しましたが、彰人へのはなむけとなったのは、彰人と
同様に愛プロでデビューしたふたりのシングルマッチでした。

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同大会 メインイベント より

会場こそ小さくとも、スポルティーバの年間最大ビッグマッチの
メインイベントが、デビュー半年の選手同士のシングル戦に
なったのです。

スポルティーバの斉藤代表は、場内実況でしきりに「選手たちの
成長していく様を見て欲しい」と述べますが、ビッグマッチの
メインイベントを、最もキャリアの短いふたりに託せるように
なったのは、スポルティーバエンターテイメントの団体としての
成長の証でした。

石田と岩本が堂々と責を果たし、大会は成功に終わりました。
ここからしばらく、若手戦線が活発化します。チームでらの
生え抜き第1号の蓮香誠、DEPの伊東優作ら4人の若手らが時には
戦い、時には組んで大物に挑む時期が続きます。

石田と岩本の「鶴舞強化合宿」や、久しく行われていなかった、
「愛プロレス博外伝 若鯱」も開催されました。

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10/13 スポルティーバ 「愛プロレス博外伝 若鯱第3陣」 名古屋市千種文化小劇場ちくさ座 メインイベント より

しかし、11月1日の金プロで、ヤス久保田が問題提起を行います。
選手たちに何も変わっていない、と叱責しました。

影山は、それに異論を唱え、ヤスとのシングル戦を望みます。
その舞台は、現時点での名古屋最強選手を決めるノックアウト
トーナメント「どえりゃつえぇがや2013」でした。
2009年に行われた「鶴舞無双」以来の最強決定戦です。

負ければそこで終わり、のシングルイリミネーション式
ノックアウトトーナメントということから、第1回戦から
全て勝負論に立った試合が展開されます。

第1回戦では、蓮香誠がマンモス半田に勝利し、結果を出します。
そして、メインイベントは当然、ヤス久保田 vs 影山道雄でした。
ここで影山は大苦戦の中、勝利します。ヤスは影山を認め、
必ず優勝しろ、とエールを贈ります。

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11/30 スポルティーバ 「どえりゃつえぇがや2013」 Sportiva Arena メインイベント より

影山は、ヤスの言葉を受け、第2回戦では岩本煌史、続く
準決勝では小仲=ペールワンから勝利を挙げます。
そして、決勝は影山にとって恩人であり、間違いなく名古屋の
トップ選手である、高井憲吾との戦いになりました。

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12/27 スポルティーバ 「どえりゃつえぇがや2013」 Sportiva Arena メインイベント より

30分を越える激しい消耗戦の末、影山は高井からついに初勝利を
挙げます。若手時代をともに過ごした彰人、入江茂弘、杉浦透が
なし得なかったことです。

同期といっていい選手たちが次々と東京進出する中、ただひとり
名古屋に残って、戦い続けた影山が名古屋最強の選手の栄光を
手にしたのです。かつて、名古屋のプロレスの「未来」を担うと
期待された選手が「現在」最強になったのです。

2013年は、色んな意味で、過去・現在・未来を象徴する選手たちが
入り乱れて、その中から未来への希望が紡ぎ出された一年でした。

次回のエントリでは、2014年の出来事について記述する予定です。

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posted by たこ焼きマシン at 23:59| Comment(0) | スポルティーバの歴史

2014年08月12日

スポルティーバ(アリーナ)の歴史:5 2012年 その向こうへ

2012年に入り、スポルティーバは昨年ほどの興行は行いませんが、
定期興行を中軸に活動を続けていきますが、少しずつ変化が訪れます。

まず、3月31日の土プロDXで彰人 vs ノリ・ダ・ファンキーシビレサスが
メインイベントとして行われます。K-1 WORLD MAX 2010王者の
長島☆自演乙☆雄一郎がこの日参戦し、タケシマケンヂとシングルを
行っていますが、そのカードを差し置いてのメインでした。

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3/31 スポルティーバ 「土プロDX」 Sportiva Arena より

水曜カレープロレス(仮)では何度も行われたカードが、ビッグカード
よりも後のメインイベントに組まれた意味が試合後明かされます。
彰人が翌4月1日より、活動の拠点を東京へ移すことを発表したのです。

また、5月には杉浦透がDEPを退団、プロレスリングFREEDOMSへ移籍します。
スポルティーバアリーナの主軸であった、若手選手たちが、影山道雄のみを
残し、東京へ進出することになったのです。

もともと参戦選手の多かった金プロはともかく、水曜カレープロレス(仮)は
彰人が抜けたことにより、ほぼワンマッチ興行の時期が続きます。
しかし、彰人に続く選手が現れます。それもふたりです。

石田慎也と岩本煌史、ともにスポルティーバエンターテイメントの生え抜き
選手で、5月から石田が、9月から岩本がエキシビションマッチに出場し、
正式な試合ではありませんが、レギュラーといえるほど興行の最初に
登場するようになりました。

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9/7 スポルティーバ 「金プロだよ、全員集合!!」 Sportiva Arena より

その間、水曜日は佐藤泰とノリが毎週の様にシングルマッチで対戦し、
同じカードでありながら、内容を進化・深化させていきます。

彰人の穴を埋めるべく、佐藤とノリは戦いを続け、8月5日に開催された
今池プロレスでは久保田ブラザーズと対戦し、名古屋の選手同士の
タッグ戦においては、2009年のvs 小杉研太 正岡大介戦以来の
(イタリア村からやって来た遠い親戚、バボ・ブラザーズはのぞく)
フォール勝ちを成し遂げます。

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8/5 今池プロレス 「今池プロレス商店街7」 名古屋・千種文化小劇場(ちくさ座) より

佐藤とノリはこれで勢いづき、選手数が少なくなったこともあり、
金曜日へ頻繁に参戦するようになります。

そして、11月4日にビッグマッチ「愛プロレス博2012〜その向こうへ〜」 が
開催されます。既に名古屋のプロレス最大のビッグマッチとして確立した
愛プロですが、名古屋だけでなく全国のZeppがプロレスへの貸出を終了し、
最後のZepp Nagoya大会となりました。

名古屋vs他地域の試合を中心とするカード編成でしたが、愛プロ史上
初めてのことが起こります。まず、第1試合が石田慎也 vs 岩本煌史と
いうダブルデビュー戦でした。

デビュー戦が第1試合で行われることは珍しくありませんが、ふたり同時、
しかもシングルマッチで対戦というのは極めて稀です。新人らしい、
気迫のぶつかり合いとなった試合は、石田の勝利で終わりますが、
このカードはスポルティーバの定番・鉄板カードとなっていきます。
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11/4 スポルティーバ 「愛プロレス博2012〜その向こうへ〜」 Zepp Nagoya より

セミファイナルでは、彰人がプロレスリングノアの丸藤正道と対戦しますが、
大会を締めくくったのは、ノリ 佐藤 vs 高井憲吾 影山道雄の、DEPタッグ
王座選手権試合でした。

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同大会 より

名だたる選手たちの試合ではなく、名古屋の選手のみ、それも名古屋でずっと
戦い続けた選手たちでのメインイベントが、Zepp Nagoyaでの愛プロ最終試合と
なったのです。

副題通り、名古屋のプロレスが"その向こうへ"踏み出した大会となり、
2013年へと続いていきます。

次回エントリでは、2013年のスポルティーバ(アリーナ)について
記述する予定です。

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posted by たこ焼きマシン at 15:28| Comment(0) | スポルティーバの歴史

2014年08月10日

スポルティーバ(アリーナ)の歴史:4 2011年 興行数の増加・成長

2011年に入り、スポルティーバ(アリーナ)は常設会場の利点を活かし、
フットワークの軽さを発揮していきます。

まず、特筆するべきは突発的な興行の増加です。
豪雪の中、開催されたケニー・オメガ vs 彰人のワンマッチ興行を
皮切りに、彰人DDT48総選挙選挙活動ワンマッチシリーズが開催され、
佐藤泰 vs 澤宗紀ワンマッチ興行、マンモスジャパンツアーに
いたっては、スポルティーバアリーナを飛び出して岐阜で行っています。

そして、Ustreamでの試合配信を積極的に行い、突発的な興行や
水曜カレープロレス(仮)での試合を配信していきます。

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1/16 スポルティーバ 「ケニー・オメガ vs 彰人 ワンマッチ興行」Sportiva Arena より

Ustream配信ログ
DDT48総選挙 選挙活動ワンマッチ 彰人VS入江茂弘
DDT48総選挙 選挙活動ワンマッチ 彰人VSマサ高梨
DDT48総選挙 選挙活動ワンマッチ 彰人VS福田洋
9.3 ワンマッチ興行 佐藤 VS 澤 


前回のエントリでは、彰人の対大物シングルマッチについて述べましたが、
この年は彰人がさらに大きな成長を遂げる一年でもあります。2011年の彰人の
対戦相手はそうそうたる顔ぶれで、全てではありませんが大まかな記録は
以下に一覧として残しています。

彰人の対戦相手一覧

彰人は、水曜カレープロレス(仮)では佐藤やノリ・ダ・ファンキーシビレサスと、
金プロでは高井憲吾や久保田ブラザーズと対戦する日々が続きます。
水曜日は、彰人・佐藤・ノリの三者のシングルが幾度となく行われ、
杉浦透やTAKASHI(現 グラディウス)らもセミレギュラー参戦し、
選手たちが著しく成長を遂げていきました。

また、1〜6月の土プロDXはすべて彰人のシングル戦がメインイベントで
行われ、5月の「愛プロレス博2011〜夢〜」でも彰人が男色ディーノとの
シングルマッチでメインを務めました。シングルマッチが愛プロのメインと
なったのは、この時が初めてでした。

また、この大会ではスポルティーバ黎明期を支えた選手のひとり、
SHIGERUが引退セレモニーを行っています。名古屋の選手は、引退時は
セレモニーを行わず、いつの間にか試合をせずフェードアウトする事が
大半で、大きな会場で引退式をするのは極めて珍しいことでした。

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5/8 スポルティーバエンターテイメント「愛プロレス博2011〜夢〜」 Zepp Nagoya より

愛プロレス博は、スポルティーバの開業5周年を祝う意味と、
名古屋のローカル選手であったSHIGERUの認知度を上げるために
開催された経緯があり、愛プロで引退セレモニーを行うこと自体に
重要な意味がありました。

6月には、第2回の若鯱リーグ戦が開催され、7選手が参加し、決勝に
彰人と杉浦透が勝ち上がり、6月の土プロDXの決勝戦では彰人が
優勝を勝ち取りました。

Ustream配信ログ
若鯱リーグ決勝戦 編集バージョン


しかし、全てが順調というわけでもありません。4月に行われた
チャリティ興行でマンモス半田が腕を骨折し、8月には澤宗紀が
格闘探偵団バトラーツ解散に伴って引退を表明し、マンモス
ジャパンツアー(MJT)の完遂がほぼ不可能となりました。

それでもタダでは転ばないのが、スポルティーバの図太い所です。

まずは、9月23日大日本プロレス四日市大会のメインイベントに、
澤宗紀が出場したのをいいことに、マンモス半田が凶器として乱入。
ドサクサ紛れにMJTin三重を行います。

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9/23 大日本プロレス 「三重・BJW大作戦」 四日市オーストラリア記念館 より

10月6日名古屋市主催の「なごやめし博覧会オープニングイベント」の
プロデュースを行い(ノリや彰人、ミスター6号らが参戦)、会場が
Zepp Nagoyaだったため、そのままMJTの「幻の最終マッチ」を
開催したのです。平日22時頃からZepp Nagoyaでワンマッチと、
究極のZepp Nagoyaの無駄遣いともいえる興行でした。

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10/6 名古屋市 「なごやめし博覧会オープニングイベント」 Zepp Nagoya より

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10/6 スポルティーバ 「MJT IN Zepp Nagoya」 Zepp Nagoya より

Ustream配信ログ
マンモスジャパンツアー 幻のZeppワンマッチ興行 マンモス半田VS澤宗紀
マンモスジャパンツアー静岡 澤宗紀マンモス半田編ファイナル


12月23日の「金プロDX」では、負けたらスポルティーバ入団という
条件のもと、エル・サムライが久保田ブラザーズと対戦し、敗北した
ため、その場で契約書へサインしスポルティーバへ入団しています。
新日本プロレス出身の選手が関東以外の、ローカルインディペンデント
団体へ所属選手として入団したのは初のケースです。

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12/23 スポルティーバ 「金プロDXだよ、全員集合!!」 Sportiva Arena より

また、バトラーツ所属だった竹嶋健史も、タケシマケンヂと
リングネームを変えて、入団しています。

2011年は、スポルティーバ(アリーナ)と、そこで戦う選手たちが
大きく成長を遂げた年でした。

次回のエントリでは2012年について記述する予定です。

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posted by たこ焼きマシン at 18:19| Comment(0) | スポルティーバの歴史